横浜・日の出町駅から少し歩いた、静かな通りに面した一角に佇む「柴垣理容院」。
なんてことない、まちの床屋さんに見えるかもしれない。 けれど、ここは1869年(明治2年)創業。現存するなかでは日本最古といわれる理容室だ。


迎えてくれるのは5代目店主・柴垣眞太郎さん(81歳)と、その奥様。
1958年からハサミを握り続ける眞太郎さんは、凛とした立ち姿で、穏やかな笑顔を絶やさない。
明治から始まった“散髪文化”の先駆け
創業者の栄吉が、兵庫の城崎から勇躍、開港景気に沸く横浜へやってきたのが文久2年というから恐れ入る。 文久2年といえば、薩摩の侍がイギリス人を斬りつけた「生麦事件」があった年だ。まだチョンマゲを結った侍が闊歩していた時代に、ここで髪結い処としての歴史が始まった。
やがて港に停泊する外国船の船員から西洋の散髪技術を学び、まだ「断髪令」も出ていない明治初頭に、いち早くザンギリ頭を受け入れた。 当時の男たちはどんな気持ちで、ここで髷(まげ)を落としたんだろう。 この場所は、間違いなく文明開化の最前線だったのだ。

震災、戦火、そして再建
柴垣理容院の歴史は、決して平穏なものではなかった。1923年の関東大震災では建物が倒壊。それでも、2代目・3代目が奮起し、店を再建。
しかしその努力も虚しく、1945年の横浜大空襲で建物は全焼してしまう。
それでも、柴垣家の男たちはハサミを置かなかった。戦後の混乱期、4代目がバラック小屋で営業を再開し、現在の初音町に移転。そして、屋号を「柴垣理髪館」から「柴垣理容院」へと改め、再スタートを切った。
「形がなくなっても、人がいればまた始められる」という柴垣家に代々流れる、静かな闘志のようなものを感じる。



令和に受け継がれる“柴垣の技”
柴垣理容院で受けられる施術は、いずれもいまでは珍しい文化財級の技術だ。
たとえば「柴垣流突き梳き法」。髪を少し持ち上げ、ハサミを縦に差し込むようにして切っていく。
4代目が考案したスタイルで、毛先が不自然に揃わず、柔らかな仕上がりになる。

洗髪は「スタンドシャンプー」という、椅子に座ったままできる方式。

さらに、片手に装着する古式のマッサージ機も健在だ。


「お客様の第一印象を大事にしたい。来た時のイメージを崩さず、その人の雰囲気に合うように切るんです」と眞太郎さんは語る。
形を整えるのではなく、“その人らしさ”を引き出すための調髪。それは、ハサミを通して人を見つめる技術でもある。
自然体を整える、“らしさ”のカット
この日、何も言わずとも、髪を見て「前にパーマ、かけてますね」と気づいてくれた眞太郎さん。
「残っているウェーブ、せっかくだからなるべく活かして自然に整えましょう」と、こちらの気持ちを汲んだ提案をしてくれた。
はじめは少し緊張していたが、ハサミが動き出すと、会話は自然と穏やかに。
思い出話も、髪の悩みも、昔ながらの静かな空気に溶けていく。
ハサミの音が「シャッ、シャッ」と小気味よく耳元で響き、そのリズムに体の力がふっと抜ける。
パーマの残りを無理に取らず、自然なシルエットでまとめてくれた髪型に、鏡を見ながら思わず口角が上がる。


「第一印象は崩さないように。でも、ちょっとだけ、良くなったって思えるように切るんですよ」
という眞太郎さんの言葉が、じんわりと心に残る。
最後に
ここは、ただ髪を切る場所ではない。
明治、関東大震災、戦争、昭和、平成、令和……
150年という時間を生き延びた椅子に腰掛け、ハサミの音を聞くと、自分もこの店の歴史の一部になれたような不思議な気持ちになる。
そのハサミの音は、きっとあなたの中にも、何か大切な輪郭を残してくれるはずだ。
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