いま、僕たちがなんとなく「理容室」と呼んでいるあの場所も、かつては「理容床(りようドコ)」なんて呼ばれていたことを知っているだろうか。
埼玉県越谷市。東京のベッドタウンとして均質化していくこの街の裂け目に、奇跡みたいに時を止めた一軒の床屋がある。
「南部理容所」。
主人は3代目の田口富一(とみかず)さん、86歳。 明治から続くこの店の、そしてたぶん、この場所の「最後の証人」だ。


かつては平屋だった建物を建て替えた際、富一さんがデザインしたという看板。トリコロールが鮮やかだが、側面にはしっかりと「理容床」の文字が残る。ここはいまも「床」なのだ。
昭和の残像と、職人の手
店内に入ると、そこはもう完全に別の時間が流れている。 ガラスケースに並んだ整髪料、少し色あせたポスター、そして、どこか虚空を見つめるマネキンたち。 かつては最新の流行ヘアスタイルを提示していた彼らも、いまはこの店の静寂を見守るオブジェのようだ。


ケースの中には「幸福になれる五つの心」の額縁。西洋風のマネキンの顔立ちと、日本の教訓が同居するカオスこそ、昭和の理容室の正しい姿だ。
昭和13年生まれの富一さんは、まさに激動の時代の只中で育った。 小学1年生の記憶は、サイレンの音と直結している。空襲警報が鳴れば「お前ら今日は帰れ」と追い返される日々。
けれど、暗い記憶ばかりじゃない。 終戦間際、越谷の滑走路に進駐してきた米軍のジープを追いかけると、GIたちはガムやチョコレートを投げてくれた。 「それが忘れられないくらい、美味しかったんだよ」 富一さんはそう言って、少年のような顔で笑う。
蕎麦とデーゲームと、0距離の温もり
取材に訪れたのは、ちょうどお昼時のことだった。 「ごめんね、今お昼食べてるからちょっと待ってて」 富一さんはそう言うと、テレビをつけて蕎麦を手繰り始めた。
「ここに座って」と手招きされたのは、富一さんのすぐ近くの席。 テレビ画面には、巨人対中日戦が映し出されている。 ズルズルと蕎麦をすする音と、実況アナウンサーの絶叫。時折、富一さんが箸を止めて画面に見入る。 僕たちは肩を並べて、デーゲームの行方を見守った。

初対面なのに、まるで親戚の家に上がり込んだような、この圧倒的な「近さ」。 マニュアル化された接客が当たり前の、どこか無機質な現代日本において、この温度感はなんだろう。それはきっと、人と人が当たり前に触れ合い、活気にあふれていた時代をそのまま生きてきた人特有の、人懐っこい温かさだ。
ジェームス・ディーンの眼差しと、セピアの西部劇
蕎麦湯を飲み干し、「さて、やるか」と富一さんが立ち上がる。 僕の伸び放題だった髪を、いよいよお願いすることにした。

席に座ると、首元にかけられたのは、まさかのジェームス・ディーンがプリントされた散髪ケープだった。どこか気だるげに煙草をくわえた、あの反骨のスターの眼差し。 この店で、一体どれほどの男たちがこのディーンに見守られながら、髪を切られてきたのだろう。 ハサミの音が響くたびに、自分が西部劇の登場人物になったような、そんな錯覚に陥る。 時間はゆったりと流れ、視界に入るすべてが、セピア色のフィルムの中のようだ。

「誠実」のために外したパンチパーマ
カットを終える頃、富一さんがぽつりと話してくれたのは、街の移り変わりと、そしてかつてメニューから外したという「パンチパーマ」の話だった。
高度経済成長期、パンチパーマは店に大きな利益をもたらしたはずだ。しかし、流行が過ぎるとともに、その客層は次第に威圧的な雰囲気を持ち始めたという。
富一さんが悩んだのは、お店の売り上げよりも、長年通ってくれる常連さんが居心地悪くならないか、ということだった。
結局、「店の雰囲気が悪くなる」と判断した富一さんは、パンチパーマをメニューから外すという大きな決断をした。それは、一時の流行や利益よりも、この越谷の地で誠実に商売を続けるという、地域への責任感ゆえの決断だったのだ。

至福のシェービングタイム。蒸しタオルの熱さと、カミソリの冷たさが交互に肌を撫でる。美容室では味わえない、理容室だけの特権だ。
「正しさ」を取り戻したアフター
すべてが終わって鏡を見ると、そこには別人のような青年がいた。 余計な装飾を削ぎ落とし、実直そうな男。
富一さんの手によって、僕は「昭和の好青年」へと更生させられた気分だ。
ビフォーアフター。憑き物が落ちたようにさっぱりした。


最後の理容師の手
カットを終え、ソファでくつろぐ富一さんに話を聞く。 かつて商店がひしめき合っていたこの街も、気づけば静かな住宅街になった。 「昔から通ってくれた常連さんは亡くなったり、引っ越して疎遠になったりしてね」
5〜6年前には、長年連れ添った奥様が他界された。 「そこから時間が経つのが早いんだよなぁ」 お子さんはおらず、いまは富一さんがたったひとりで店を開けている。

富一さんの手も撮らせていただいた。「歳の割には指が太くて立派なんですよ」 と言う通り、確かに太く、力強い指だ。この手一つで、戦後の混乱も、高度経済成長も、奥様との別れも乗り越えてきた。職人の手は、口よりも多くを語る。
「私が、南部理容所の最後の理容師になるだろうね」
悲壮感はない。ただ、静かな事実として、彼はそう語る。 ソファで微笑む富一さんの表情は、とても穏やかだ。

お店の片隅にあるソファにて。すべてを受け入れたような、優しい笑顔。「また来なよ」と言ってくれた気がした。
越谷の片隅で、今日もカチカチとハサミの音がする。 それは、明治、大正、昭和、平成、令和と続いてきた、長い長い物語の、最後のエンドロールのような音なのかもしれない。
消えてしまう前に、この「温かさ」と「誠実さ」に触れられてよかった。 店を出て風に吹かれた首筋が、とても涼しかった。
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